ペット供養の資格を取得できます。ペット供養、動物供養ができる日本で唯一の動物・ペット限定の動物僧侶・ペット僧侶の資格が取得できます。出家得度は真言宗の関連寺院で執り行います。ペットの位牌、動物の位牌を用いてペット供養ができる僧侶となる。動物・ペット限定の僧侶資格である動物(ペット)僧侶。 動物供養、ペット供養や葬儀、法要、お経の読誦、位牌開眼等を感謝の気持ちを込め飼い主自らが心を込めて動物・ペットが喜ぶように行えます。

  • 〒300-1222
  • 茨城県牛久市栄町2丁目2番地
  • TEL : 029-828-6337






牛久市栄町にある仏教協会の修行指導・講習所。祈祷、法要、葬儀、供養も行います。





※当協会と類似業務を記載し、関連団体のように装うサイトがございます。


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※過去、現在において反社会的勢力と関係有り、又は関係を持とうと考えている方
、僧侶資格を公序良俗に反する利用を考えている方は、僧侶資格は取得できません。





仏教協会では「施動物供養」を提唱しています。施餓鬼供養
という餓鬼を供養することがありますが、一般的に言って、
この餓鬼の中に動物は想定されません。つまり、人間でいえ
ば餓鬼になるような死に方、生き方をした無数の動物は供養
されてこなかったことになります。「施動物供養」により、
家畜、魚類等も含めて、供養して成仏させてあげましょう。
たとえば生前に悪業の多い人は死後、果として、畜生道に生
まれることもあるなど人間等も混じる可能性が畜生道にはあ
り、あるいは動物が死後、餓鬼道に生まれる可能性もあるた
め、施畜生供養と「畜生」とか、施「餓鬼」供養とせずに、
悪趣道に生まれた動物に行者は三密集中し救う施動物供養。
苦の多い一生を送る哀れなる動物の滅罪生善を願うご供養。



「仏」に近い六道の順番は、天、畜生、人間、修羅、餓鬼、
地獄だと思います。(良い悪いという意味ではなく、本質)

元来お釈迦様は動物を大切にしていましたので畜生とは動物
ではなく人間の行いを原因とすることを意味していたと思い
ますが、いつの日か動物の中での区別もなく六道の三悪趣と
されるに至り、また動物は日本の法律での取り扱いは「物」
として取り扱われ、動物を家族と思う方の気持ちと大きくか
け離れています。「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」の
第二条の「廃棄物」の定義ではごみの他に「動物の死体」が
含まれていたり、さらにペット供養は請負業、ペットの遺骨
の納骨は倉庫業、これは石材店、動物病院その他企業等でも
営利事業としても行われていることから、宗教法人が行った
としても収益事業として課税されのが一般的で、裁判の判決
でもそのような判断もあったと聞きます。宗教行為を行う者
の立場から見ればペット供養は人間とまったく同じですが。

人間はすぐ心変わりしたり顔色をうかがったりする。このこ
とは人間が一貫した実体のない常に変化する存在であるから
であり、それに対してたとえば慈悲、愛情について見ると動
物は生まれながらの本質で裏切らない。対して人間の心は実
体がないためすぐに愛情も覚める。人間の愛情や慈悲心には
実体がないため、今日は愛していても、明日は嫌いになる。
これに対して、何年たっても動物の愛情は裏切らない。この
点、一つ取り上げて見ても、動物は人間と違い、修行で抑え
るべき八識、塵の影響力が本質的に元々希薄と思います。こ
ういったことから動物の方が人間より本質的観点から見れば
仏に近い存在です。従って、動物は人間がさげすむ存在では
なく、逆に動物から見れば人間はさげすまされる存在だが、
醜悪な人間の心(識)と違ってさげすむという発想すらない。
以上のことは倫理観道徳観ということからではなく顔色をう
かがう等色々な習慣考え方潜在意識がこびりついている人間
は仏(後得智はもちろん常覚、解脱、涅槃)になりにくいとい
う執着的習慣的潜在的本質が動物より強いと思うという意味。


1.ペットの飼い主は、自身がペット供養をすることで、死
後の世界、仏の世界(自分の瞑想世界)に入り供養すること
で素晴らしい世界を知ることができます(修行による)。ペッ
トにとっても、飼い主に供養されることが一番の喜びです。


2.自分のペットを自分で供養する時が最高の力が発揮でき、
最高の供養の力、最高の心のこもったペット供養となると思
います。亡くなったペットへの愛情という力と、ペットが死
後も幸福に過ごさせてあげたという力が和合し、供養が成就
するよう、これら和合した力がペット供養行に加わります。


自分のペットは飼った時から、亡くなるまでではなく、さらに
一歩進んで、「死後、生まれ変わり」、すなわち、「畜生」に
再び、生まれ変わるという悪循環から、ペット供養により、浄
土の世界に、生まれ変わるよう、死後の生まれ変わりまでも考
えてあげたいものです。ここにペット供養の真髄があります。
自分のペットを供養するときは、最高の力が発揮でき、最高の
供養の力、最高の心のこもった供養となり、亡くなったペット
に以心伝心で伝わるとともに、仏尊にも伝わり、最高の供養と
なることは間違いないです。なぜならば、ペット供養が成功し
なければ、過酷で苦しいとされる、地獄、餓鬼、畜生という
「三悪趣」のうち、再び「畜生」に生まれ変わるとされるか
らです。この苦しみのサイクルから、抜け出させてあげて、
飼い主の力で「人間」か「天」に生まれ変わるペット供養を
全力で行うことになり、ペット供養を体得することもできます。


"一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)"
という言葉にある通り、動物には、仏と成る、すなはち、成
仏できる生き物としての心があります。人間のような煩悩ま
みれの者が成仏できるのであれば、全身で嘘偽りない本心を
表し、喜びや偽りない愛情を与えてくれる動物。動物は人間
のように裏切りません。このような動物は成仏できないはず
がありません。自分の死後は愛したペットと浄土で楽しく暮
らしたいものです。動物の一生は、食べたいものも食べられ
ず、話すこともできないため意思も伝えられず、誤解される
こともあり、いたずらごころで何かしたら言い訳もできず、
眼や態度で訴えかけるしかない、自由も束縛される、かわい
そうな生き物。死後に成仏、あるいは環境や教えによっては
、生きながらにして即身に成仏できる動物がいても何ら不思
議ではありません。人間に捨てられ、売られ、里子にだされ
、いじめられ、裏切られても、けなげに飼い主を信じる動物





動物供養を学ぶことを機に覚りを人生の目的、ライフワークとして修行
することは人生に著しく効用があります。その修行の方法のやり方、
ヒントとして、まずは身の回りの現実の存在に対するものの見方が正
しくない、間違っていたということを認識する修行が第一段階です。
この修行は一番難しく、現実に対するものの見方から抜け出せません。
さらに諸法無我について考え認識し、自身にとって無明とはについて
考え認識し、瞑想空観を体験しさらに先に進んで凡夫に見えない仏姿を
外に見て、そして最終的には真言宗の覚りの境地、自身の内なる仏、
即身成仏という覚りに至ることを最終目標に修行続けて行きましょう。


(1)僧侶になったからといって、僧侶の仕事の依頼が降ってわいてくる
などバラ色の世界ではありません。国家資格でさえ取れば食べていけ
る資格は特別な資格を除きありません。かなりの努力をしない限り僧
侶の仕事の依頼がくることはほとんど皆無である位に考えることが現
実的です。たゆまぬ努力と向上心、そして行動力が必要です。あるい
は幸運に恵まれた人でない限り、僧侶として自立することは困難であ
ります。他に収入がない人が僧侶としての収入だけで生活することは
できないと考えることが現実的です。辛抱強く修行と努力を続けた人
が、ようやく法務の依頼がまれにある、あるいはほとんどない位に考
えておいた方が現実的であり無難です。人間を対象とする四度加行を
終えた僧侶でさえ、お寺の跡継ぎで、しかも檀家が沢山いるようなお
寺を除き、他の仕事とかけもちしないと食べていけないという現実も
あり、努力・知識・智慧・活動を継続して、始めて果実が実ります。
批判や修行の継続的な根気力と耐える力も必要です。日本でも宗派間
の殺し合いという過去の歴史が示す様に僧侶も自分と違う考えの人を
批判し自分の宗教宗派が最高最善とする人も多々います。世界では宗
教宗派が違うと教えが異なり異教は認めないということがあります。
僧侶は身体と言葉と心の三つが仏の境地になった状態で、法要等作法
がスラスラ、スムースにでき、お経も間違いなくスラスラ読めるよう
になるよう、日々、何度も何度も復習し、体得できましたという段階
に至り真の供養、動物に伝わる供養ができるということになります。

この僧侶資格は、出家し得度をしたという事実に基づく、実質的意味
ではなく、形式的意味での「僧侶」に過ぎません。また仏教協会が独
自に認めた民間資格ですので、他の多くの民間資格と同じように、国
家資格のような法的、制度的に公に認められた資格ではございません
。従って、この資格を認める人もいれば、認めない人もいるという、
民間資格であり、「万人に認られめた」国家資格ではございません。


(2)僧侶になったとしても修行が終わったと考えてはいけません。修行と
勉強が、まだまだ足りません。僧侶になってからが、僧侶の始まりであ
り、僧侶としては初心者の範疇です。継続して、机上の勉強と実践修行
をしないと真の供養はできません。形だけの供養では仏尊に対して伝わ
らず、三密一致、本不生に至る瑜伽・即身成仏の体得修行が必要となります。






ペット僧侶(動物僧侶)資格取得までの流れ



1仏教検定試験三級の問題を添付ファイルにて送信。解答後、添付ファイル等にてご返信ください。
※この場合の検定料金は無料です。何回でも受けられます。
   ↓
2事前に僧侶としての名前を決めて、得度という出家の儀式を行います。
牛久市内の真言宗の寺、または牛久市内の仏教協会の道場で行います。
なお、得度式終了後、引き続き修行を行いますので、午前11時までにお越しください。
〇現代仏教における出家について、いくつか具体的に示し簡単に説明すると、仏陀を目指し、仏陀に至る「覚り」を目指したり、あるいは自身の覚りのみならず人々を覚りに向かわせる(苦悩から救う)ということを目的とした覚り、あるいは真言宗における「覚り」、即ち、「発菩提心」を目指し、「即身成仏(覚り・仏となる)」に至る、といったことを意味します。 従って、出家し目指す所は人それぞれ異なります。
〇出家したからといって、今までの日常生活、社会生活は何も変える必要はございません。
現代の出家例として、たとえば大きく二つに分けると、お寺の中で集団生活と仏道修行をする人は、お寺のルール(戒律)に従う、お寺で集団生活せず、今まで通りの社会生活の中で、菩薩道を歩む人は在家と呼び、一般社会の中で生活しながら、社会のルールに従い仏道修行することとなります。自分の心の中以外、外形上は今までの生活とはまったく、なんの変化もありません。

3得度式終了後直ちに、動物供養の「行法とお経」を掲載した次第テキストを使用し、動物供養について、数時間勉強し、修業はこの一日ですべて終了します。

4帰宅後は、復習し、分からないところ、忘れてしまったことがあれば、メールにて質問していただけたらと思います。

5料金は得度料の10万円だけとなります。
※当日の持ち物は「履歴書」、「住民票」、反社会的勢力とは無関係であるという誓約書をご持参ください。
※当日の服装は、座って修行しますので普段着等自由服です。
※白衣を着ますので下のシャツは、V首かU首の白系シャツが良いです。
※一回習っただけでは、次第の体得も即身成仏もできませんので、帰宅後、習ったことを何度も何度も復習してください。
仏の世界を観想し、次第を体得できれば心のこもった最高の動物供養(動物の精霊に心が伝わる供養)ができますので、頑張ってください。
※動物供養の僧侶資格は、人間に関連する作法は一切できません。人間に係ることは、四度加行という別の修行をしないとできません。
以上、概略内容を記しました。


ペット供養ができるペット僧侶資格(動物僧侶)が取得できる




ペット供養・動物供養が自分でできる、動物に限定された動物僧侶資格・ペット僧侶資格。
ペット供養ができるペット僧侶の資格が取れるのは唯一当協会だけです。
ペット、動物限定の僧侶資格である動物僧侶(ペット僧侶)の資格が取得できます。
ペット供養、動物供養を、出家し、僧侶となり、僧侶資格を取得して行えます。
動物(ペット)僧侶は、ペット供養士・動物供養士・いきもの供養士でもあります。
ペット(動物)の看取りを飼主自ら僧侶となり行うはペットにとって無上の喜びなり。
出家得度は真言宗の関連寺院、または牛久市内の仏教協会の道場で行います。
指導は真言宗の阿闍梨が執り行います。





清純な動物世界と他人を蹴落とす強欲人間界



動物は最後の別れの挨拶をしてくれます。見逃さないよう気を付けましょう

汚い人間世界とは異なる、動物だけの、純粋な世界があります。 輪廻転生解脱のため、この世で修行すべきは畜生として差別され る動物ではなく人間です。動物に獣医師がいるように、動物、ぺ ットには、得度した動物限定資格の僧侶(ペット僧侶)がいます。
〇大多数の動物(ペット、生き物)は死後、供養されていません。
〇ペットは他人に供養されるより、飼い主から「今までありがと う。あなたと共に過ごせた人生は幸せでした。あなたは私の家族 の一員です。私が浄土という素晴らしい場所へ送ってあげます。 動物として生まれ苦の多い一生だったかもしれませんが、浄土で は安心して暮らせますから、心配せず浄土へお行きください。」 と言ってあげれば、ペット、動物は迷わず安心して旅立てます。
〇動物(ペット)は、自分の死がせまっていることを人間と違い、 事前に知り、飼い主に知らせ、最後の挨拶をしてくれますが、人 間は、愚かで、それに気づかず、見逃しペット(動物に)最後の挨 拶もできず、亡くなった後に飼い主は後悔することになります。 飼い主との「お見送り」「お別れ」のとき、最後のお別れのあい さつを動物(ペット)は、けなげにも、飼い主に、してくれます。 行動、その声、が聞こえるはずです。それに応えて声をかけてあ げましょう。動物(ペット)が亡くなった場合、動物(ペット)の霊 を慰める供養のためにお経を唱えましょう。動物(ペット)はお経 の意味が分かりませんが、お経とは唱える声を聞くこと自体が供 養と功徳になります。唱えながら、いわゆるテレパシーのように 心で伝えたいこと、声をかけてあげたいことを伝えてあげ、また 唱えるお経によっては輪廻転生後に良い所へ行けるという霊験が あるとされます。功徳があると言われるお経を唱えてあげたいも のです。動物(ペット)の遺体は、移動火葬や火葬炉に入り遺骨と なり、動物供養のための動物・ペットの霊園、墓地に納骨、埋葬 されることになります。ペット・動物の供養から霊園墓地への埋 葬の過程において動物・ペット僧侶が大きな役割を果たします。
〇ただ精一杯、一生懸命生きるという人生をおくる動物。動物は お腹が痛くても痛いと言うこともできない。六道輪廻の世界では 生前の悪業により畜生に生まれ変わったのが畜生だと言われたり 煩悩の固まりである人間からさげすまされるあわれな存在です。




・動物僧侶(ペット僧侶)の資格を取得する方法

・動物僧侶(ペット僧侶)資格取得にかかる期間

・動物僧侶(ペット僧侶)になるための料金費用



当協会の関連寺院の阿闍梨が指導する僧侶資格(動物限定)。その特徴とは、

・僧侶資格の名称は「動物僧侶」・「ペット僧侶)です。
・当協会以外では、絶対に取得できない僧侶資格が、動物僧侶資格・ペット僧侶資格です。
・純粋に生きとし生けるものを救うという考え方から生まれた日本で唯一(世界でも唯一かもしれません)の「動物限定」の僧侶資格です。人間は対象外です。
・この僧侶資格はペットなどの「人間以外」の「生き物」を対象にする資格です。
・人間対象の僧侶資格に比べ、取得が簡単で、取得日数がかかりません。
・取得条件は、動物好き、生きもの好き、ペットを愛している人だけの限定の「僧侶の資格」です。
・資格取得にかかる費用料金は、喜捨金の10万円(数珠代金とテキスト代金は含みます)だけです。なお、将来、法衣・白衣・袈裟・雪駄・作務衣 という動物(ペット)僧侶の装い一式(1セット)が必要になればその時にできるだけ安くて良いもの(中古の安いものでも品質が良ければ可)を探して購入いただければ良いと思います。 将来、もし正式な僧侶になりたいという気持ちが起きれば、その時期に四度加行をしていただくこともできます。

 


動物限定の僧侶資格は、一日だけお越しいただく修行(一般的には得度式終了後、引き続き修行を行います)が必要です。 遠隔地に住んでいたり、忙しくて、何度も通うことができないという方でも一日だけお越しいただくことで、動物僧侶(ペット僧侶)になることが可能です。

動物僧侶(ペット僧侶)であれば資格取得の道もご心配いりません。大切なことは自らが仏と一体になることを体得し、生きとし生けるものを愛し救うという優しい心であり、動物僧侶(ペット僧侶)資格者として適性にほかなりません。
たとえ一日の修行といえども自宅で心を込めて全身全霊の力で習ったことを思い出し100回復習すれば、100回の修行になります。何度も繰り返し同じことを行い どうすれば最勝の供養になるか、どうすれば最勝の浄土へ送ることができるか、自分の菩提心よ開け、と 心に念じ修行してください。この修行は怠けず、過度にならず中道に続けることが大切であり、例えていうならば筋肉は何もしなければ衰えていき、 やりすぎると筋肉に損傷をきたすことになります。このようにお釈迦様の言う通り、怠けず、やり過ぎず、毎日の中道の修行が重要なのです。



動物限定の僧侶資格は、得度のみの僧侶資格です。従って正式の僧侶資格・住職の資格は取得できません。 又人間を対象とするものは供養等一切できませんし、 人間の弟子をとることもできません。

四度加行終了後の伝法灌頂、教師試験合格により取得する正式の僧侶資格ではなく、 「得度のみによる僧侶資格(出家)」です。



金儲けのために当協会の僧侶資格(動物・ペット)を模倣する者に対する危惧。

〇模倣する者の心が汚れていると動物、ペット、生きとし生けるものを救うという純粋な心が踏みにじられ、動物の魂が揺さぶられ荒らされるということになります。


《動物僧侶(ペット僧侶)になる方法》

〇動物のみをを対象とする動物僧侶(ペット僧侶)という資格は、 一日修行の指導と得度式は関連寺院で行い、一般社団法人仏教協会の中の一部門である「馬頭観音寺」(関連寺院の中に本尊馬頭観音を祀っています) において「動物僧侶(ペット僧侶)資格」を認定します。
〇動物僧侶(ペット僧侶)の資格を取得するには、一般社団法人仏教協会の関連寺院にて、出家(得度)する必要がございます。
〇応募資格 
※ペットを捨てたり、いじめたり、劣悪な環境で育てたり、私利私欲のために動物を利用する等、動物の愛護精神に反するよう行為をしない方
※動物の健康長寿を願い、亡き後は浄土で安楽に暮らせるよう願い、次の世では、動物ではなく人間や天に生まれてこられるよう考える優しい心根がある方
※理屈上実践上、動物を自分の弟子にする状況が発生する場合もあり得ます
〇資格取得条件(下記の①と②を満たすこと)
①当協会の仏教検定試験三級を受験し、60点以上を取ること。 なお、60点以上取れるまで何度受験しても可です。 検定試験の料金はかかりません。
②検定試験合格後、一日間の修行(実技作法等)に出席すること。

※専門的修行につき一日で体得することはできません。ご自宅で何遍も何遍も復習していただく必要がございます。


《動物僧侶(ペット僧侶)資格の取得をお勧めする方》
〇動物僧侶(ペット僧侶)になりたい方
〇動物大好きで優しさを持っている方
〇自分のペットを自分で供養したり、ペットの健康長寿を祈願したい方


詳しくは お問い合わせ ください。

  • 真言宗の修法と考え方により行います。
    僧階はございません。 ◎有 髪 可
    ◎男女不問
    ◎年齢不問
    ◎学歴不問

    《動物僧侶(ペット僧侶)の仕事は、生きている動物の苦悩を取り除き、楽を与えること》
    《仏の世界は、老若男女、学歴差別のない平等な世界ですので、どなた様にも開かれています》
    《老若男女問わず受け入れておりますので、是非ともご連絡下さい。》



資格取得のお申込みは、下記のメールフォームにてお申込みください。










動物僧侶(ペット僧侶)になるまでの流れ


    〇出家、得度の儀式、修行(仏教協会の修行道場で行う場合もふります)は真言宗の関連寺院で執り行います。




    出家する


    〇得度(出家)が必要です
    〇必要書類:履歴書と住民票(原本)及び反社会的勢力とは無関係であるという誓約書
    〇奉納金:得度喜捨金(布施) 10万円<動物僧侶の資格を取得する為にかかる金額>
    〇数珠代金及びテキスト代金は上記金額に含まれています
    〇僧名が授与されます
    〇度牒が授与されます
    〇将来、ご希望あれば、ご希望の時期に四度加行をしていただければ正式な僧侶になれます




  • 野生動物、家畜、害虫と言われる虫等を含め、あらゆる生き物、動物の為に供養による救済をしたい方、 動物僧侶・ペット僧侶になりたい方、
    仕事は辞めずに動物僧侶・ペット僧侶資格を取りたい方。


【動物僧侶・ペット僧侶資格はペットを飼われている多くの方に幅広く役立つ資格です。】

    〇できるだけ簡単、負担なく僧侶になりたい
    〇どこで動物僧侶・ペット僧侶の資格を取得できるのかわからない

    ◎少しでも関心を持たれましたら是非とも一度、お問い合わせ下さい。 ◎初心者の方にも丁寧にご説明とご案内をさせていただきます。


    動物僧侶・ペット僧侶資格ページ:メイン画像


    動物好きの方が、自身が僧侶となり動物を供養してあげたいと思う方のための動物僧侶・ペット僧侶資格。
    人生を大好きな生きものの為、動物の為、「動物僧侶・ペット僧侶」として人生を歩みたい方



    〇仏教協会では真言宗の修法による動物僧侶・ペット僧侶の資格を取得できるコースを作りました。
    〇仏教協会では動物僧侶・ペット僧侶の資格を取得するため僧侶養成事業を行っております。


    動物僧侶・ペット僧侶の資格取得に関する取扱いは、当協会内の一部門であり、関連寺院にある「馬頭観音寺(一般社団法人<別称は、「いきもの山 動物寺」>)にて執り行います。

    自分のペットの供養ももちろん動物僧侶・ペット僧侶の資格を活かせば自分で行うことができます。 ペットの増加に比例して動物僧侶・ペット僧侶に対する社会的要請は年々大きくなってくると思われます。なお、公序良俗に反する行為に動物僧侶・ペット僧侶の資格は利用できません。

    《一般社団法人仏教協会の一部門である「馬頭観音寺(一般社団法人)<関連寺院内に本尊馬頭観音を祀っています。>」について》
    一般社団法人仏教協会の一部門である馬頭観音寺(一般社団法人)は、馬頭観音を本尊としています。 少しでも多く種類の生きものが成仏できますようにと一般社団法人仏教協会の中の一部門として馬頭観音寺(一般社団法人)が存します。 多くの動物が、動物を心から愛すことができる僧侶により、供養され成仏できますように。 ペットの飼い主が唱えるお経とペットの飼い主が用意した供物で供養され、そして飼い主の心が動物の魂に伝えられるますように。 生きとし生けるものを救うという教えがあっても実のところは人間の成仏を目的とするのが現代の僧侶であり、そのような人間が主たる相手の僧侶に供養されるより、本物の愛情を持った動物僧侶・ペット僧侶に供養され、成仏への勝因引導を渡された方が動物にとっては喜ばしいと思います。 ところでインドの一般的信仰に輪廻説というものがあり、それは生活に浸透し、又仏教における六道説では人間の死後の輪廻で行きたくない先である三悪趣の一つである畜生道は動物のことであり実存することから、人間は畜生に輪廻転生しないよう道徳感が働くことになっています。 動物は、同じこの世に生きる人間に比べて、畜生と言われ六道における地獄、餓鬼、畜生の三悪趣の一つとして、悪い転生先とされる。 六道輪廻の転生先の畜生としての動物は実存するため悪趣の見本として、悪いことをして動物に転生しないようにと差別対象の畜生と呼ばれ、いかにも低い地位で悪趣の生き物のようにされることがあります。 仏教用語で言う六道説で、悪の度合いで下から並べてみると「1.地獄、2.人間(餓鬼)・人間(修羅)、3.人間、4.畜生(動物)、5.天」の順が正しいですが、輪廻転生後に生まれたい先として の順位は、人間は、人間と天が最良で誰もが望みます。しかし動物は輪廻転生先として人間と天が最良だと考えているかわかりません。 僧侶には神通力や仏の加持力を期待でき、素人に毛の生えた者にくようはできない、あるいは悪趣である畜生を供養したり成仏にかかわってはいけない、戒名などつけてはいけないなどと言う人もいます。 そもそも本不生、本性清浄、空相からはそのようなことも無、ないわけですが。 お釈迦の時代に遡れば一般の人間の弔い、供養はされていなかったとされています。


    《ペット、動物に対する動物僧侶・ペット僧侶の役割》

    愛情を持っての供養、引導等は、動物にとってはこの上なく成仏の勝因と言えます。実のところは誰も死後の世界から戻って来た人がいないため、僧侶が葬儀等で果たしていることが、いったい後世で何らかの勝因になっているのか、僧侶の能力により勝因に差がでるのか、あの世はあるのか、輪廻転生はあるのか等は確認できません。 犬猫好きの方は自分のペットの犬猫に限らず、たいていは他の犬猫を見ても目を細めて平等に可愛く思います。 ところが人間の場合は他人の顔を見ても好き嫌いがあり、すべての人に対して目を細めて可愛いと思うことはありません。 他人に差別感を持ってしまうといったことを滅するため僧侶の修行というものが必要とされています。 ところが動物僧侶・ペット僧侶の場合、対象が動物に限定されますので、動物好きは修行をしなくとも動物に対する差別観もほぼないため、差別を消滅させる修行の必要姓も低いといえます。 ペットの犬・猫は下から人間を見上げどんなにうらやましいと思っているでしょう。人間の生まれることは奇跡であり、もう二度と人間に生まれてくることないと言えます。 輪廻転生がないとは断言できません。そこで動物を供養するときは、動物が人間や天に生まれますようにと祈ります。


    《ペット供養・動物供養とは》
    仏界から地獄まで十方法界の無作三身の仏体は吾なりと観ずれば六道の畜生動物も吾なのである。畜生動物も吾であるということを純粋な意味での動物好きは体得している。 動物好きの方は宮沢賢治の小説「どんぐりと山猫」を読めば人間の自分と動物の山猫が対等であるので何の違和感なく想像し心の中で会話できるのです。 それどころか山猫から手紙が想像の中での出来事でも、実際の出来事だとしても対等に会話できることが喜ばしいことに感じる。 この観想(想像)力を持ってすれば動物好きはペットに供養ごちそうすることができ、ペットの生前好きだったことを供養提供できる供養力を発揮することができます。 たとえば動物嫌いという煩悩のある人に真のペット供養、心からペット動物に何かを伝えることができるのであろうか。

     

    《動物僧侶・ペット僧侶とは》
    主として人間を対象とする僧侶から見ると動物に対する愛欲は煩悩の最たるものの一つとされます。 絶対的なレベルに愛欲を極め、差別なく動物を愛すというのが動物僧侶(ペット僧侶)です。 動物に対する愛は煩悩であり、迷いの妄執だとするは人間の見地であり動物側からの見地ではありません。動物側からは愛されたいと思います。 動物から見れば人間の観点は動物差別の観点であり、動物には動物の考えがあり、人間の考えが及ぶ所ではありません。 動物が何を考えているか自体、科学が進歩した現在でも理解することはできません。 動物に対する愛欲、妄執を認め、動物に対する煩悩を滅するどころか、動物に絶対的愛欲煩悩に高めていくことを目指すのが「動物僧侶・ペット僧侶」という僧侶資格です。 動物も含め、何もかもを差別しないと考えたり、動物に対する愛欲は煩悩であり滅すべきものとする僧侶に供養されるより、動物大好きという愛煩悩まみれの動物僧侶(ペット僧侶)に心から愛情をもって供養される方が動物にとってうれしいと考えます。 このよう愛煩悩にまみれることが認められるどころかそれをさらに深めていくのが「動物僧侶(ペット僧侶)」修行、菩薩道です。 動物愛欲煩悩にまみれた僧侶資格です。 動物には人間の言葉が通じているのかいないのか、動物に聞くことができないので確認できませんが、実際上、ペットに対する、葬儀や供養が行われています。 動物は人間の言葉をわからなくとも動物愛に満ちた動物僧侶・ペット僧侶や飼い主と動物との関係では言葉が通じ、心も通じているものと、動物僧侶・ペット僧侶は観想することができます。 動物の心と心がつながった人にに供養される方が動物にとってはうれしく感じます。 動物に対する愛欲という煩悩があることを認められる動物僧侶・ペット僧侶の資格です。> 中道ではない、動物愛に傾よってもいいじゃないか。動物僧侶となり、想像力と瞑想で、動物の世界観、動物の心の中、動物の気持ち、動物が何を考えているかの世界に入り込み供養するは、動物に対する愛情を持っている人だけに可能なことです。

    《動物は悪趣なのか》
    畜生、動物にも心、菩提心があり、思考力もあるものとして供養等を修するが動物僧侶(ペット僧侶)です。 善を修さず悪事をした者が化生する先である地獄を中心とした餓鬼・畜生の三悪趣。 この三悪趣うちの畜生道の動物を供養するは人間の防悪、道徳、善行観を阻害するからもってのほかだとの批判は実際上はあたらない。現代社会において動物への転生するのを恐れ悪行をしないと考える人は少ないと言ってもよい。 動物僧侶・ペット僧侶は、動物にも菩提心を蔵するということを前提にして動物に対応いたします。 動物にも菩提心があれば人間同様、動物も悟りに至ることが可能です。 実際に可能かどうかはともかく、理屈の上では動物も悟ることはできると考えます。



    動物僧侶・ペット僧侶は、ペット僧侶、畜類僧侶、哺乳類僧侶、鳥類僧侶、爬虫類僧侶、両生類僧侶、魚類僧侶、昆虫類僧侶、クモ類僧侶、多足類僧侶、、軟体動物僧侶、原生動物僧侶、キョクヒ動物僧侶、腔腸動物僧侶です。(人間は対象外です)。 当協会の附属寺院として馬頭観音をご本尊とした真言宗の「いきもの山 どうぶつの寺」を建立しました。動物僧侶・ペット僧侶の資格を取得できるのは当協会だけです。 動物僧侶・ペット僧侶の資格は社会的にあまり知られていない資格ですが、ペットの増加により社会に浸透していくに従い活躍も期待できます。 動物僧侶・ペット僧侶の資格の対象となる動物とは、「人間以外」の生きとし生けるものすべてです。このような観点から、動物僧侶(ペット僧侶)は、虫僧侶、畜類、ほ乳類、の資格の対象となる動物とは、「人間以外」の生きとし生けるものすべてです。

    ペットのお坊さん、犬のお坊さん、魚のお坊さん、鳥のお坊さん、猫のお坊さん、昆虫のお坊さん、カメのお坊さん、うさぎのお坊さん、魚のお坊さん、ハムスターのお坊さん、熱帯魚のお坊さん、テグーのお坊さん、セキセイインコのお坊さん、シマリスのお坊さん、フェレットのお坊さん、ネズミのお坊さん、モモンガのお坊さん、モルモットのお坊さんなど動物のための僧侶・のお坊さん資格です。


    《動物僧侶(ペット僧侶)の資格の内容》
    動物僧侶(ペット僧侶)の資格は動物対象に限定した資格です。 人間を対象とすることは一切できません。 動物僧侶(ペット僧侶)は人間を弟子にすることはできません。 生きものではない物(物品、人形等)を対象とすることはできません。 動物僧侶(ペット僧侶)の根本には動物だけに対する愛欲を絶対的なものに極めることが動物僧侶(ペット僧侶)の菩薩道であるため、物を対象とすることができないのです。 動物愛を極めるため動物僧侶(ペット僧侶)は菩薩道を歩み続けます。 動物僧侶(ペット僧侶)はすべての動物が救われ浄土へ行った後に初めて自身は涅槃に行きます。



    当協会の僧侶資格(動物・ペット)を模倣する者に対する危惧。
    動物限定の僧侶資格はありません。類似・模倣の僧侶資格で動物を食い物にする危惧。

    〇動物、ペット、生きとし生けるものを救うという純粋な心が踏みにじられ、動物の 魂が揺さぶられ荒らされるということになりはしないかと危惧しています。